グロスマンアカデミー 生徒作品ブログ

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Archive for April 15th, 2017

【生徒作品】清水 亮翔 12歳

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【生徒作品】清水亮翔 12歳
「『もし』と言う条件的思考」

「もし」と言うものは、条件的思考である。そして「もし」と思うことは本当に大切である。もしと考えると、1つのことを考えるだけではなく、他のことにも集中できる。

例えば、日露戦争の前夜、当時の日本のリーダーであった、総理大臣桂太郎、伊藤博文や外務大臣小村寿太郎が京都に集まり、日露戦争のことを話した。今まで日本は戦争で負けるという考え方はなかった。なぜなら、日本の教育の一部で、天皇をいただく日本が戦争で負けるなどということは考えてはいけなかったからである。

しかし、当時の日本のリーダーたちは、この型にはまっていなかった。ロシアに対して戦端を開き、負けることになったらどれほどの不運を国民に負わせるかを考えた。冷静に、「もし自分の国が負けたら」と考えていた。

その当時、「もし自分の国が負けたら」ということは考えられないことであった。しかしその時のリーダーであった総理大臣桂太郎、伊藤博文や外務大臣小村寿太郎はcritical thinkingができた。彼らがこのようなcritical thinkingができたので、ロシアと戦争を始めたけれど最後まで戦わず、講和条約を結んだ。

総理大臣桂太郎、伊藤博文や外務大臣小村寿太郎のリーダーが冷静に、「もし自分の国が負けたら」と考えた結果、日本はあまり被害が起こらなかった。もし日本がロシアと戦争を続けていれば、日本は負けていて、たくさんのものを失っただろう。

「もし」という条件的思考は大事なものであり、総理大臣桂太郎、伊藤博文や外務大臣小村寿太郎のリーダーが冷静にcritical thinkingができたから、現在の日本がある。そして「もし」というのは、条件的思考だけではない。想像力、冷静な思考判断やポピュリズムに流されない思考でもあると考える。

電子版投稿者: グロスマンアカデミー

April 15th, 2017 at 9:53 pm (PDT)

【生徒作品】清水 亮翔 12歳

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【生徒作品】清水亮翔 12歳
「はじめに言葉があった」

はじめに言葉があった
言葉は神と共にあった
神が光あれ
と言ったときから
言葉がある
そして神が光を
作る前から闇はあった
聖書にはこう書いてある
言葉の内に命があった
命は人間を照らす光であった
光は暗闇の中で
輝いている
暗闇は光を理解しなかった
と書いてある

光とは何か
聖書には
光は暗闇の中で照らしているものと
書いてある
闇とは光の反対であり
暗い状態である
なぜ神は最初に
光を作ったのか
光がないと何もできないからである
そして闇を追い出すためである

電子版投稿者: グロスマンアカデミー

April 15th, 2017 at 9:51 pm (PDT)

【生徒作品】清水 さくら 8歳

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【生徒作品】清水さくら 8歳
「菜の花とニュートリノ」

あるてんきのいい春の日に
ニュートリノとひかりが
おいかけっこをしてあそんでいた
ニュートリノは小さすぎて
なんでもとおりぬけてしまう
なんでもとおりぬけてしまうから
ニュートリノがひかりを
タッチしようとすると
とおりぬけてしまう

ようやくあそぶのがおわり
ひかりがニュートリノを
しょうかいしようとした
ひかりがニュートリノに
菜の花をしょうかいしようとしたら
とおりぬけてしまった
そのまねをしようとひかりも
菜の花のはっぱにはいろうとしたとき
するとひかりはきゅうしゅうされた
菜の花はラッキーといって
光合成した

電子版投稿者: グロスマンアカデミー

April 15th, 2017 at 9:49 pm (PDT)

【生徒作品】清水 さくら 8歳

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【生徒作品】清水さくら 8歳
「1分でサラダを作るロボットがまだできないこと」

1分でサラダを作れるロボットがまだできないことを考えてみた。

たしかに、このきじには、Chowboticsというかいしゃが作ったみどりとちゃ色のサリーという350ポンドのロボットは、1つのサラダをたった10分で作れるとかいてあった。しかも1000しゅるいいじょうも作れる。つぎにこのロボットができることは、人間よりはやくサラダを作れるし、じょうずにできることだ。

だが、このサリーは人間が考えた1000しゅるいいじょうのサラダを作れるけど、自分であたらしいサラダのレシピをはつめいすることはできない。

しかも、私はしっぱいすることができるけど、サリーはしっぱいすることができない。私がお母さんのりょうりのてつだいをしたときに、しっぱいと思ったものがはんたいにおいしくできたことがある。だからしっぱいはときどきはつめいにつながる。

だからサリーがとくいなことの中にしっぱいからのせいこうはない。

電子版投稿者: グロスマンアカデミー

April 15th, 2017 at 9:44 pm (PDT)

【生徒作品】清水 さくら 8歳

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【生徒作品】清水さくら 8歳
「私のものたち」
私はたくさんのものにかこまれて毎日せいかつしている。つくえ、本、えんぴつ、コップ、くし、石、ぬいぐるみなどだ。

私が父さん、お母さん、あきとにおこられているときも、ものたちは私のそばにいてくれる。そして私をなぐさめてくれる。

たとえば本をよめばそのストーリーの中につれていってくれる。えんぴつをもてば、すきなえもかけるし、ものがたりもかける。おきにいりのコップでだいすきなレモネードをのめば元気がでてくる。ぬいぐるみたちにはないしょばなしもできるし、なでたり、ハグしたりして、ともだちみたいだ。

わたしはかぞくも大すきだけど、ものたちも大すきだしだいじだ。

電子版投稿者: グロスマンアカデミー

April 15th, 2017 at 9:33 pm (PDT)