グロスマンアカデミー 生徒作品ブログ

Grossman Academy Students Opinion Blog

Archive for May, 2011

Essay “Osama bin Laden and the World”

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Essay
Osama bin Laden and the World
Yui Sasajima


In the beginning of May, President Obama announced that U.S. forces had killed Osama bin Laden, the man who planned the attack on 9/11. When addressing the news to America, he proclaimed, “Justice has been done.” After hearing the news, citizens all over America celebrated with joy.

For over 20 years, bin Laden was the leader and symbol of the Al Qaeda. Because of the 9/11 attack, the world considered him as the potential enemy. For a long period of time, he was the most wanted man in the world. In the 9/11 attack, his followers helped him kill hundreds of innocent people from all over the world. Since then, the world had nothing but negative views on bin Laden.

Knowing the history of the world and bin Laden, it seems reasonable for people to be glad about the fact that a terrorist has been killed. However, the world’s reaction to his death seems out of line. His death has ended up creating even more problems. People do not realize that just because one terrorist died does not mean the whole concept of terrorism and the whole Al Qaeda group has been terminated. If anything, the death of bin Laden may have caused the remaining terrorists to plan even more attacks. People are unaware that his death is not something to celebrate. They are too busy showering in the scintillating feeling of victory that they are forgetting the truth: There are still many more terrorists in the world. The death of one terrorist means little to nothing.

Yet there is an even bigger problem with the fact that people are celebrating bin Laden’s death. Lately, “US KILLS BIN LADEN” has been written all over the news. On newspaper articles with headlines in relation to the death of bin Laden, there are pictures of people, mostly American, celebrating and cheering. But the people are ignoring the fact that the US forces committed murder. There was never a time when it was okay to kill anybody; no one has the right to kill anyone. Yet the people of the US forces who helped kill bin Laden have somehow become heroes. The death of anybody is not something to celebrate. Bin Laden acted on what he believed was right. Though his actions took away many lives, bin Laden was still a human being. In the United States Declaration of Human Rights, it was written that “everyone has the right to life.” People are celebrating the fact that someone was murdered. It does not matter who he was; he was a human being, and no one has the right to kill any person.

People must realize that a person’s death is not something worth celebrating. “Justice has been done” does not explain the situation. US forces under the government killing bin Laden is not justice.

電子版投稿者: T.Sasajima

May 31st, 2011 at 8:05 pm (PDT)

俳句 カラス

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おなかすくいつもないてる冬がらす
マックニアーニ 花

夏の夕空飛ぶ烏うらやましい
谷 法之

人の住むニッチで烏が夏を告ぐ
篠島 匠人

からすがね春にわの中巣を作る
趙 恵美里

からすはねぼくのかおみてないてる
趙 アダム

からすくんなつにとんだらいいきもち
高辻 英松

からすなくカーカー五月蝿い夏の午後
マックニアーニ 太羅

カラス飛ぶ真夏の暑さに負けてない
南原 未亜

からすの子猫におそわれ夏の昼
森 勇翔

カラス来るゴミ箱荒らして夏の家
上畠 啓暉

街灯が照らす陰気はカラスかな
府川 周平

カラス戻るまだ食べ物ないまた変える
府川 耕大

暗い空カラスになって夏迎え
篠島 結衣

からすはねすごくかわいいなつのひる
奥村 美輪

からす鳴く朝ゴミあさる夏休み
南原 セリーナ

無くし物からすが探す隠れ夏
木下 まりの

桜の木カラスがとまって鳴いている
カシペ パトリシア

電子版投稿者: T.Sasajima

May 21st, 2011 at 1:37 pm (PDT)

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詩 「アフガニスタンの青年の物語」

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アフガニスタンの青年の物語
府川耕大


アフガニスタン人が英語を勉強するのはとても難しい
勉強したくてもアメリカに行くにも苦労する
アメリカへ行くためのビザを取るのは
命がけである
もしビザが見つかったら
タリバンなどから殺される可能性がある

アメリカでは
勉強をしたくない学生などいるが
学校に沢山いるが
世界中に勉強をしたいけれど
出来る機会が無い子達が多い
アフガニスタンのアンワアみたいに
機会をもらえる子は少ない
世界中のみんなが勉強できる
機会をみんなにあげないといけいない

電子版投稿者: T.Sasajima

May 17th, 2011 at 11:19 pm (PDT)

エッセイ 「モンゴルの青空の下で」

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エッセイ
モンゴルの青空の下で
篠島匠人


 今私達が住む社会での生活が、他の世界での標準的な生き方とは限らない。土地と住居を購入して長い間同じ場所に住む人もいれば、季節の変化に応じて常に移動しながら生活する人もいる。人の生き方はそれぞれだ。皆、自分が正しいと思うことを実践しているし、実際そのどれもが土地や環境に合わせた正しい生き方だと思う。
 3月に発生した東北の大地震では世界中の人がその被害に衝撃を受けた。発展した大都会でも、新聞やラジオでしか情報の伝わらない僻地でも、彼らの起こした行動は変わらなかった。世界が祈りを捧げて、日本に寄付をしてくれた。モンゴルでは「日本の被災者に羊をあげたい」といった遊牧民がいる。「1頭の羊はたいしたもんじゃないけど、困っている日本人のことを私が気にしていると伝えたいと思ったんだ」

 生き方は人それぞれである。同じ「寄付する」行為にも様々な形がある。例えば他国で大きな災害があった時、今の日本人だったら「目の前の画面に映る電子口座からいくらか被災地に寄付する」人もいるし、「立ち寄ったコンビニやスーパーでお釣りを募金箱にいれる」子供もいる。いろんな社会での暮らしぶりがそれぞれの寄付の仕方にも反映するのだ。モンゴルの羊のように通貨である必要もない。何かをあげるということはそれだけ大きな痛みも伴う。それでも被災者のことを思って何かを差し出す気持ちは万国共通である。思えばチベット仏教のモンゴル人だけでなく、キリスト教やイスラム教、神道といった様々な教えを信じる人が、宗派を越えて日本の復活を祈ったのである。これからもお互いに痛みを理解し、お互いに助け合う世界であり続ければ、世界は幸せになれると信じている。

電子版投稿者: T.Sasajima

May 12th, 2011 at 4:10 pm (PDT)

小論 「福島原発20キロ圏外強制避難は民主主義の原理に反するか」

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小論
福島原発20キロ圏外強制避難は民主主義の原理に反するか
篠島匠人


 東日本大震災発生後、東京電力は津波による原子力発電所の被害を過小評価していた。日本社会の不安感情を抑えるため、日本政府は原子力発電所からの退避をあくまで最小限にとどめ続けた。都合の悪い情報を極力隠し、いきなり原子力発電所の20キロ圈内を警戒区域に指定し立ち入りを禁止した。このような政府の指針は専制主義をとる国の体制と一致する。今回日本政府が行った形での強制退避は民主主義の原理に反している。

 福島原発付近の住民の多くは、今回の避難を大きな地震による一時的なものだろうと判断した者が多い。海岸付近の住宅や建物は殆どが津波によって流される、全壊するなど大きな被害を受けた。これに加えて、現在原発の放射能の影響で避難を余儀なくされている距離は内陸圈内の20キロ付近も含まれている。内陸に住む人間は、家に戻ることで長期避難に備えた支度をすることが出来た。しかし日本政府は強制避難という体制をとることで、彼ら住民に避難区域内での行動に制限をかけることにした。

 今回の原発事故による避難区域に指定された地域には、自分の家や土地、家畜を自分の命同然に重んじる人が多勢いる。彼らにとっては、それらなくしては自分の生活は成り立たないし、今まで生きてきた意味もなくなると考える人が多い。東北をはじめとする日本人は「人間の力は自然を超えることが出来ない」ことを理解している。自然と対峙すれば人間は非力だ。だからこそ彼らは「天災だから仕方がない。けれども残った物、いまあるものからまたやり直そう」とある程度自身を奮起することができた。
 しかし今回の東日本大震災は天災だけでは済まなくなった。津波によって冷却装置が流された結果発生した原子力発電所事故は、天災を伴った人災である。それまで生活の一部として共存しあっていた人間と自然との間に原子力発電所が立ちはだかった。津波の力は今回も人間の作った建物の多くを破壊していったが、その際に破壊された技術が、今度は自然と人間の生活を破壊している。今回強制避難区域を制定させるに至った理由は、自然ではなく人間にある。その責任は東京電力、また原発建設を許可した日本政府が持たなければならない。

 福島原発の周辺が危険なことは、報道を通じて皆理解している。圈内に戻る理由が無ければ、彼らはずっと安全な場所での避難を続けるだろう。それでも圈内に入り自宅や職場に戻るという強い意志を持つ人たちは、そうさせるだけの理由があると考えるべきだ。彼らは自殺願望で避難区域内に立ち入ろうとしているのではない。火災の発生した建物の中に入って財産を確保しようとする行為とは、緊急性も、生命の危険性も、危険を犯して行動を起こす動機も違う。政府は国民が求めている情報を与え、その後の人生選択を被災者個人に委ねなければならない。人間は一人ひとり、人生を自分で決める権利があるし、政府も個人の決定を尊重するべきだ。アメリカでは実際に避難するかしないかを個人が全て決定するという原則に基づいている。

 政府は国民の安全を守る義務がある。しかしこの安全を「生命的な安全の確保」とだけ考えている現状は間違っている。日本政府は被害を受けた住民の心情を、一切避難体制に反映していない。被害住民の多くは20キロ圈内の自宅に戻り、震災以降やりたくても出来なかったことを済ませ、必要なものを持って帰ることで、精神的安定を得ることが出来る。しかし政府は20キロ圈内強制退避によって、被害住民の精神安定を確保する貴重な機会を奪ってしまった。「命があればまたやり直せるから」などと語っても、東北に住んできた人間の心情を逆撫でるだけである。精神的な安全の確保も政府の義務の一であることを忘れてはならない。

 避難住民を初めとした国民が強く求める情報を早く正確に開示すること、最悪の事態に備えて深く考慮することをしなかった。菅首相率いる日本政府は政府自身の都合の良いように情報を意図的に操作し、被害は事実ほど大きくはないという印象を国民に与えた。長期的な避難の可能性を念頭に置かずとりあえず避難させて、そのまま多くの住民に自宅に戻る機会を与えないまま法的拘束力を持つ強制避難区域を指定した。このような行動を起こすのは盲従を強いる専制主義と変りない。民主主義国家としての政府が被災した住民に対し行うべき行動は少なくとも三つある。「あらゆる情報の開示」「見積もりは最悪を考慮し住民に知らせる」「これらを全て考慮した上での住民の行動は一任、自己責任とする」。日本政府は「全てがコントロール下にある」ことを繰り返し力説している。しかし原発付近に住宅を持つ住民の統制は、彼らの生きる糧を取り上げることと同じだ。震災前よりも大きな活力を取り戻すには、東北を復活させる必要がある。そしてそれを実現するには、政府が国民一人ひとりに決定を委ねる民主主義の立ち位置を常に自覚しなければならないのである。

電子版投稿者: T.Sasajima

May 8th, 2011 at 12:41 pm (PDT)

詩 「巨大地震と大災害と絆」

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巨大地震と大災害と絆
篠島匠人


生きている生物は体の中でも活動している
地球も同じ
地球が生きているからプレートは動き
断層にたまった力が大きなエネルギーを生む
地表が揺れ 物は落ち
海で起きれば津波も来る
大切なものを失ったり 人が亡くなる災害
皆は地震と呼んでいる
普段から災害に備えるために
地震を耐えるビルを建て
避難訓練やってても
それを超える自然の力が
人々を襲ったとき
大きな励みになるのは人の間の絆
世界の絆
政府はお礼を9か国にしか出さなかった
しかし130を超える国が助けてくれた
ならばその絆を断つこと無いよう
私が世界に発信しよう
「あなたのおかげで助かっています
 わたしたちはがんばっています」と

電子版投稿者: T.Sasajima

May 3rd, 2011 at 3:59 pm (PDT)