グロスマンアカデミー 生徒作品ブログ

Grossman Academy Students Opinion Blog

Archive for April, 2011

小論 「日本のエネルギー戦略はどう間違っていたか」

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小論
日本のエネルギー戦略はどう間違っていたか
篠島匠人


 石油依存を減らしたいから代わりのものを使う、という論理を日本で原子力発電所にあてはめることは間違っていた。被爆国でありながら原子力が持つ力をしっかり認識しようとせず、経済的な発展のみ追求して原子力発電所を建設した結果、今の日本はろくに経済活動が出来ていない状態であるばかりか、そこから漏れ出した放射能が住人に害を与えようとしている。

 日本では今回の地震で力不足を露呈した問題のある施設を「原子力発電所」、原発と呼んでいる。しかし英語では nuclear reactor であったり、nuclear power plant だったりする(正確に言えば、reactor は核分裂の連鎖を調節しつつ継続して行わせ、そこから生まれたエネルギーを利用する装置の総称なので一言で原発と訳すことはできない。日本語で適切とされている対応語は原子炉とされている)。問題なのは、英語なら一単語 nuclear のみの使用で済む言葉を、日本語ではあえて二通りの呼び方に区別すること。即ち、 核分裂の原理は全く同じであるにもかかわらず、 nuclear の用途は平和利用前提なら「原子力」、しかし軍事的な利用なら「核」といった形で呼ぶ傾向がある。Nuclear warheads を核弾頭とは呼んでも原子力弾頭とは呼ばず、逆に Nuclear power plants を原子力発電所と呼ぶことはあっても核発電所、核発とは呼ばない。英語のまま「ヌークリア・リアクター」と呼ぶこともしない。本来なら、技術を軍事・平和利用で区別させる理由などないし、唯一の被爆国である日本だからこそ、このような言葉に統一性を持たせるべきだ。Nuclear の本質にかくれみのを着せてはならない。しかし日本語の柔らかい言葉の使い方は、同じnuclearでも善悪による区別を持たせる情報・印象操作を引き起こした。ここで日本の原子力、核に対する誤った見方が広まっていった。

 平和利用だから自分は悪いことしない、従って悪いことなど起きない、という東京電力側の歪んだ論理は、あらゆる非常事態に対し備えなかったことに対する正当化の根拠となった。今、想定外の地震と津波がおしよせて、消防庁や自衛隊、海外からの支援といった外部機関の利用についても触れられていなかったと3月31日付けでWSJが報じている。

 原発の恐ろしいところは、大事故が発生すれば周辺地域は放射能で住めない空間となるのに、そのことを棚に挙げて直接的な恩惠を授かることしか考えてこなかったことにある。世界で起きるチェルノブイリやスリーマイルでの原発関連事故でも、今回の大震災でも、広範囲にわたる地域の住民はその移住を余儀なくされた。そうすれば町や集落の経済活動や地域社会としての機能は破綻する。

 電力問題を解決したと思っていた私達は、その過程で「問題を出すほう」にまわってしまっていた。原発の「問題を出さないで答えだけ出そうというのは不可能」でありながら、このような危険と隣り合わせに成り得る状況で原発を継続して使用するべきだったかどうか? 計画停電や自粛といった応急的な電力消費の抑制は、長期化すればするほど日本経済に悪影響を与える。しかしそれでも、私たちは、エネルギーが足りないから原発を増やすという論理を使うべきではなかった。今の日本人は自分たちの生活の仕方を変えるよう迫られている。科学や技術の発展が期待されている21世紀で電力というインフラストラクチャの供給に悩む社会が正しいはずはない。東日本大震災を体験して、私達日本人はどうやって生活して行けばいいかわからなくなった。今までの日本人の生活が間違っていたからだ。日本人が科学の本質を見落としてただ西歐に倣った結果こうなった。災害大国の日本が何も原子力に頼る必要はなかったのではないか。地震による発電はまだ構想にも至っていないし、津波や台風など災害を電力に変換する技術も無い。あらゆる被害の可能性をプラスに導くような発電施設を、これから整えていかなければならない。

 今、日本では原子力発電所を55箇所抱えている。なのに毎年原爆で原子力のおそろしさが語り継がれることはあっても、原発の危険性を教育することは無く、放射線に対する知識を持っている国民は少ない。震災に見舞われた日本がとりくむべきことは、増やして解決するという単純思考に徹するのではなく、大基から今までの生活を見直すことである。その為にはまず日本のエネルギー計画の脆さを指摘し、電力会社の利権を一切含めない形で解決することだ。現在東西における電力周波数の差異は西日本からの送電を妨げている。その上で何が正しい発電法か、そもそも今言われているほどの電力が必要なのかを考えていかなければならない。正しい教育を受けないまま、計画停電など実態は無計画な復興政策を実施しても、その後の発展は見込めない。

電子版投稿者: T.Sasajima

April 28th, 2011 at 3:59 pm (PDT)

詩 「人間の弱さ」

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人間の弱さ
カシペ パトリシア


時間の手が短くなる。
星の灰色の体が
不思議な真っ黒になる。
お日様がまだ来ない。
けれど、お月様は
私のとなりにいる。
「すみません」と言いたかったのに
「ごめんなさい」と
急に言ってしまう。
どうしてだろうか。
お月様は何も答えない。
感謝して涙が出てしまう。
時間の手がまた切った。
お月様が私のそばに
忠実に残ると涙が落ちる。
「すみません」とそつと言って
お日様を探してみる。

電子版投稿者: T.Sasajima

April 21st, 2011 at 7:12 am (PDT)

小論 「東日本の歴史的背景と原発の惨状」

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小論
東日本の歴史的背景と原発の惨状
篠島 匠人


 唯一の被曝国である故、国民全体が原子力の恐怖をしっている。しかし原爆の悲惨さは訴えていても、原発で生産された電力で「非核」を訴える矛盾に気づいたのは少数だった。原子力発電所建造にあたって地域的な反対が起きなかった理由は県民性、土地事情、戦後の都市開発と多々ある。短期的な利権を無視出来なかった(しなかった)複合的要素が現在の福島と関東の慘状を生んでいる。

 東電は持っていた6000万キロワットを超える発電能力の内約13.6%にあたる852万キロワットを原子力に依存している。 東京電力は首都圏の1都7県と静岡県の東側地域の一部で電力供給を管轄している。一方で東電の所有する原子力発電所3箇所の内訳は2箇所が福島県(福島第一、福島第二)、残る1箇所も新潟県の柏崎原発と、いずれも管轄外にて建設されたものだ。東京電力側の狙いは明らかである。原発を東京から離しておいておきたかった。これは原子力による発電を名目上は絶対に安全で事故など起きるはずはないとしながら、それを東京において実証するには確証がなかったからに違いない。規模が違うため一概に比較はできないが、火力発電所の数が人口の多い神奈川で5箇所、東京でも2箇所存在するのを考慮すると、東京電力本社所在地に原子力発電所を建設することによる潜在的リスクを東電側は既に理解していたと結論できる。これは第一原発4基の立地する福島県大熊町がまとめた大熊町史を見ると明らかである。「東京から遠いこと、人口稠密の地域から離れていることが立地条件として考慮されていることから、いかに技術的に安全性が強調されようと原子力発電所の性格が如実に示されているといわざるをえない」

 東京電力側はこのリスクを簡単には見破られないようにして原発建設の候補地を模索していた。そこに東京電力へ立地誘致を促したのが、当時の福島県知事だった佐藤善一郎氏である。外見上では福島県知事と東京電力・日本政府との間で利害関係が一致していた。まず、戦後の福島県は全体的に発展途上、大熊町は中でも後発的であり、原発建設が地域開発の契機と判断した。立地点の大熊町では原発推進以前から早稲田と東京農大に依頼し地域開発を目標とした調査が行われ、行政段階で開発を推し進めようとしていた。従って地域住民は原子力の有無にかかわらず何らかの形による開発は避けられないと認識し、原発誘致での抵抗も多くなかった。

 原発誘致の対象となっていた大熊町は開拓事業の指定地だった。もともとこの地は漁業が盛んだったため漁業権喪失や放射能による海水汚染、冷却水の確保といったことで海洋資源が失われることを町民は危惧していた。しかし反面この場所に農地としての価値を見出していたものはおらず、それを強制的に開拓しても高い生産力を見込むことは出来なかった。従って他の市町村と違い土地買収に関して東京電力や政府側が困るということは無かったそうである。開発が他の町と比べてとくに遅れていたということだけに留まらず、行政開拓による地域共同体の解体、産学協同を推し進める大学の思惑、過剩する陸地の用途などが複合的に絡むことで、原発の建設が決定したのだといえる。

 この原発建設決定に関して地域の町村が東京電力の言い分を全て認めていたわけではなかった。原発建設が始まる前に東京電力や日本政府、原子力産業会議が結論づけた人口統計による概況に関して、大熊町は「浪江町よりも近いところに当時人口7629人の地元の大熊町、隣接の人口7629人の双葉町、人口1万1948人の富岡町のあることは、東電の説明からはすっぽりと脱落している事実に気づかなければならない。2万人以上の町なら市街地として扱うが、1万人前後の町は配慮の対象にならないという論法が、要するに原子力発電の立地が東京からの距離の遠さを力説する形で適地の判断がなされることにつながっているのである。」と分析する。本来ならこういった人口2万人以下の町について一切述べないまま安全とは言い切れない原発を建造することについて彼らも疑問を持ち、抗議するべきだった。しかし彼らはしなかった。

 司馬遼太郎は著書「歴史の中の日本」で東北、奧州に住む人間をこう称している。「歴史は人間の社会意識の熟成の度合いにともなって進展するものだが、中世のこの時期に奧州人の意識には天下をとるなどということは片鱗もない。かれらは痛々しいほどに善良な巨人であり、虎を搏ち殺すほどの膂力をもっているくせに自分がそれほどの力を持っていようとは自覚せず、本土の権力に対してはいわれもない宗教的畏怖感と神聖感を感じて」いた。

 なぜ彼らは日本の他地域から独立した意識をもっていたのか? 日本は元来アジア内のあらゆる地域の人間が日本列島に移り住んだ結果形成された国であり、住む地域によってその民族性、現在の県民性が異なるのである。宮本常一の「塩の道」では環境に適応する生活を実現するため創り上げていった地域ごとに異なる文化が記されている。その例が馬や牛に荷物を載せる習慣である。馬の上に載って行動距離を伸ばしたり権威を誇示したりした騎馬民族系統の日本人は京都を中心として多数いた。しかしそこからある程度離れた地域では、これら家畜に荷物を載せて牛も人間も歩いて移動していた。騎馬民族が行うことのなかった習慣である。こうして自分は自分の生活ができるならそれで良いとする価値観が京都から離れた関東、東北において多く見られた。戦後になってもその意識は変わらなかった。原発建設にあたっての土地買収や漁業補償、即ち自らの普段の生活に直接的影響を受けることがないことを確認した上で、東電による土地を自由利用、東京に焦点をおいた電力生産を承諾した訳である。人のよい県民性が後に放射能汚染へと繋がる原発の建造を許してしまった。

 この度の震災による原発の被害は放射能による海洋・大気汚染に留まらない。輪番停電の計画、事業別による電力の割り当て供給、広告の自粛、自発的な節電といったかたちで電力使用量を減らす。節電の啓発はライフライン供給の厳しい状況にある首都圏にとって重要なことであるが、長期化すれば工場生産や社会での経済活動をこれまでのように行うことは不可能だ。これは第二次大戦後に見られた日本の再来を意味しているといえる。そもそも停電しなければならなくなるほどの電力需要が新たな火力発電所や原子力発電所の建設を促進したのだが、それら発電所が被災した震災直後には、戦後の電力不足を再現することとなった。現在でも復興を阻む唯一最大の問題が電力不足にあるということもまた、戦後史の一場面を忠実に再現している。これを再び新たな原発建造で対処し、その為に立地を詮索するようなことがあってはならない。原発による利権を追求した結果歴史を繰り返せば、日本は慘状から逃れることは出来ない。

電子版投稿者: T.Sasajima

April 18th, 2011 at 7:07 pm (PDT)

詩 「コンクールと自然淘汰」

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コンクールと自然淘汰
カシペ パトリシア


月は地球をぐるぐる回っている。
魚の卵が一個しか生きない。
地球は太陽をぐるぐる回っている。
UCLAの大学に入学できる学生の
数をきびしく切っている。
車輪がぐるぐる回っている。
コンクールで一番強くて
勝とうとすな者はよく生きられる。
一億の漫画を出版すれば、
10冊の漫画が人気になれる。
しかし、月はぐるぐる回っている。
毎日小さいコンクールでも
大きいコンクールでも自然汰が、
生きているので、勝った者だけが
きびしい世界で残っていく。
車輪がぐるぐる回っている。
勝った者を集めて
もう一度コンクールやろう。

電子版投稿者: T.Sasajima

April 7th, 2011 at 6:14 pm (PDT)

エッセー 「孫とお婆さんの生存」

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エッセー
孫とお婆さんの生存
中村 茉菜


 東北関東大震災が発生した九日後に救出された阿部壬さんと彼のお婆さんの寿美は生きると
いう気力は、現代の日本人、特に若者たちの中で失われてきているのではなく、単に眠り始め
てしまっているだけであり、何かきっかけがあれば再び目覚めさせる事ができるということを
見せてくれたと思う。

 彼らは津波に襲われたが、偶然冷蔵庫や布団などに手が届き、上や寒さをしのぐ事ができた
という。しかし、例えそれが偶然であっても、災害にあい、長い間狭い空間に閉じ込められて
いれば気が滅入ってしまう人も、救助を諦め、生きることも諦めてしまう人もいると思う。そ
れにもかかわらず、未成年の少年と八十を超えたお婆さんの二人で衰弱した状態でも一週間以
上生き延びたということは、何が何でも死よりも生を選びたい、という考えを抱いていたから
だと考える。それに彼らが救出されたことは人々の捜索、救援に励む自衛隊や消防隊員にも励
ましになっており、生存確率が低くなっても生き残っている人がいるかもしれない限りは捜査
を打ち切らないとした。技術が進歩し、便利な機会が社会の多くの場面に普及した今、情報で
もなんでも簡単に手に入るものが多くなってしまっている。加えてゆとり教育などで幼い頃か
らさほど努力もせず、辛いことを経験する事が昔に比べて大幅に減少している。そのため、現
代の若者の生命力が失われていると嘆かれている。だが、今回の出来事から見られるように、
生きる気力が失われたのではなく、心の奥底に眠っているだけだと思う。便利すぎるともいえ
る時代に生まれ、その便利さを受け入れて疑問に思わず、大きな苦難に立ち向かうことを知ら
ずに毎日を過ごしている若者が多いだけなのだ。自分から目的を探そうとしないからやる気を
起こす必要も無く、命への執着心が薄れているのだと考えている。

 二人が生き延びたことは、生きる気力は窮地に立たされたときに目覚めることを見せた。活
力が消えてしまったわけではないのだ。だから、震災と津波の残した爪あとが消えても、災害
が痛感させた何も無い中で生活し、困難や苦痛を乗り越える、努力をする、自分から行動を起
こす、という意欲が若者たちの中に残れば彼ら自身、そして日本全体が改善され、進歩するだ
ろう。

電子版投稿者: T.Sasajima

April 1st, 2011 at 3:57 pm (PDT)