グロスマンアカデミー 生徒作品ブログ

Grossman Academy Students Opinion Blog

Archive for January 3rd, 2011

小論 「19歳の少年を死刑にする社会は、社会責任と義務を果たしているのか」

without comments


小論
19歳の少年を死刑にする社会は、社会責任と義務を果たしているのか
篠島 匠人


 犯罪に対する死刑判決を成年未成年を問わず言い渡すのは、国際法の精神を無視した日本司法の暴挙である。未成年行動に対する責任の帰属先と社会の未成年に対する義務を考えれば、未成年に対する死刑判決が不当であることがわかる。

 11月25日に行われた宮城県石巻市の男女3人殺傷事件の裁判員裁判で、仙台地方裁判所は19歳の少年に求刑通りの死刑判決を言い渡した。具体的には元交際相手の少女との仲を少女の姉らが引き裂こうと思い込んだことを動機とし、犯行当時18歳だった被告は姉や居合わせた少女の知人を含めて3人を殺傷した。保護観察中の犯行から犯罪性向は根深く、他への共感が欠け、異常性、歪んだ人間性は顕著だと指摘。未成年であるということも考慮には含まれるべきだとしたが、死刑を回避するべき決定的事情ではないと退けた。

 日本は国際条約に締約している国連加盟国だ。国際条約、児童の権利に関する条約第37条にはこう記されている。「締約国は次のことを確保する: いかなる児童も、拷問又は他の残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けないこと。死刑又は釈放の可能性がない終身刑は十八歳未満の者が行った犯罪について料さないこと」。国内の刑法で18歳以上の死刑がいくら認められていても、国際法を無視した未成年の死刑執行は人道に反すると国連が規定した。

 未成という文字は、まだ出来上がっていないことを意味する。この少年が犯行に及んだのは彼が18歳の時だ。成人に満たない年齢の者は親権者や後見人が未成年者を監督し保護下にいれておかなければならない。未成年が悪事を犯した場合は、その保護者も責任をとらなければいけない。またそういう環境を創り上げた社会も、無関係とは言えないはずである。

 まだ法的な責任能力も備えていない未成年の被告に、もう更生する余地が無いなどとどうして言い切れる?これは、社会自らが「犯罪をおかした未成年を更生させる能力が無い」ことを宣言しているようなものである。「この子は社会にとっての悪影響なので死なせてしまえ。」今回の判例でも明らかな通り、地域の住民や日本の社会は犯罪を犯した未成年を見捨てる方向へ向かっており、それでいてその未成年を教育した周囲や社会は関与の痕跡もどこかへ隠しつつ、知らないと断言する。しかし社会や日本国民は、未成年の犯罪者に死刑を下すことで自分の属する社会が本当に良くなるなど、本当に思っているのか?この主張は、司法を組み入れた無責任な感情論に過ぎない。

 死刑に値する罪を犯したら死をもって償うべきという主張を未成年の被告に投げかける人間は、実際にはその本人も依存しているにも関わらず「私はこの未成年の住む社会には属していない」と暗喩するものであり悪質だ。一度誤った方向へ進んだ未成年を更生する立場にあるのが成年であり、未成年が成年となって本人が責任能力を持つまでの間、その保護者や周囲の社会が面倒を見ることこそ成年として行う義務である。

 未成年者の死刑への賛成はあらゆる人間が住む社会の一員としての責任を放棄し、社会義務の履行を拒否することを意味している。未成年者を成年として死刑を宣告することは責任能力を持たない彼らに対する非人道的措置であることを自覚するべきであり、これが続くなら、彼らの責任の帰属を社会全体が考えなければならない。

電子版投稿者: T.Sasajima

January 3rd, 2011 at 1:53 am (PDT)