グロスマンアカデミー 生徒作品ブログ

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Archive for the ‘中村 茉貴’ Category

小説 「蛍光灯と蛍雪」

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小説
蛍光灯と蛍雪
中村 茉貴


 何時だっただろうか。僕がこの地に足を踏み入れたのは。仕事で入力ミスのヘマをして、メディアに派手に報道されて、アメリカから自分の名前の知られていない土地に越した。やり直す為に。逃げてきたといってもいい。
 正式には『引っ越そうとしている』の方が正しいだろう。この時代、メディアが普及していない場所なんて先進国には無い。かと言って言語から学びなおすのはごめんだった。そんな無理難題・我侭この上ない条件の下ようやく見つけたのがインドの低い山の一つにあるこの村だ。そうして僕は丁度空いていた一軒家に転がり込み、20XX年の冬が終わったばかりの頃の春先、今に至っている。
 世話を焼いてもらっている家族の家のベランダに座りつつ、村を取り囲み、限りなく広がる草原を見渡し、澄んだ空気を深く吸い込んだ。都会からだといざ旅行に行かない限りなかなか体験する事はできない。都会にいると人は自然の中の、宇宙のなかのちっぽけな存在に過ぎないという事を忘れてしまいそうだった。
 そんな、なんとなく切ない気分に浸っていると背後に気配を感じた。振り返ると、この家の一人娘のラタが、壁の陰から顔を覗かせていた。彼女はまだあどけなさの残る顔で笑うと、
「お茶をどうぞ」
と淹れたての茶の入ったコップを手渡してくれた。
「ありがとう」
僕が笑い返して言うと、道側から子供の声が聞こえてきた。気をとられてそちらを見ると、ラタ位の年齢の子や、それより多少幼い子の集団が、僕が先程見ていた方向に向って駆けていっていた。その内の一人の少女が
「ラターっ」
とこちらを振り向いて手を振り、そのまま駆けていった。
ラタは笑いながら手を振り返したが、あの集団に加わろうとはしなかった。
「おや、君は一緒に行かないの」
僕が不思議に思って問うと、少女は残念そうな顔をして、日差しの中で輝く雪山の方向に目をやった。
「私ね、足が動かないの。山の中で友達と遊んでて、転落して以来ずっと。普段はカートに入って友達や家族に押してもらってるの。自力でも動けるには動けるんだけど、何せ木製だし、あまり遠くには行けないの」
 そう言って彼女は先程まで留まっていた壁の陰から出てきた。見ると、彼女はいかにも素人が一生懸命作った木製の車椅子に座っていた。実を言うと、彼女と会うのは今日がまだ二回目であった。一回目は彼女の両親に夕飯に招かれたときだった。僕は食べ終わってもずっと座っている彼女を、行儀がいいと感心していた。
「そう……悪かったね。こんなこと聞いて」
「いいんですよ。事実ですし。でも、自分の過失で、友達や家族に迷惑をかけて、申し訳ないな、って」
 そう言って彼女はすっかり冷めてしまった茶を一気に飲み干した。きっともう一度自分の足で立ちたいんだろうな。当然と思っていたものを失って、その日常を取り戻したいと思わない人なんているんだろうか。そんな思いに浸っていると、僕ははっとした。自分が学生だった頃、あるフォーラムに出席したのを思い出した。そこで山海さんという人が披露してくださったのが、人の神経伝達物質の発する電気信号、運動意志を感じ取り、その通りに動くロボットスーツだった。パチンコ屋の店頭に飾ってあるSFチックなポスターから飛び出てきたような代物だった。試着した女性も、観客席の僕らも、そのスーツが素晴らしくて、余りの感動に息をのんだ。
「おじさん、お昼も家で食べていかない?どうせ皆は昼も忘れて帰ってこないから、お母さんにいいか聞いてみる」
 物思いに耽け、冷めてしまった自分のお茶を飲み干しながら、僕は彼女の去っていく後姿を見守った。
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電子版投稿者: T.Sasajima

July 27th, 2011 at 1:54 am (PDT)

小論 「科学はどう人類を変えていくか」

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小論
科学はどう人類を変えていくか
中村 茉貴


 疑問と発見を繰り返し、科学は進んでいく。その進歩と共に、人類は世界の仕組みをより深く解明したり、何かに対する新たな手段を得たりする。科学は、人類の脳を多次元的に広げていくのである。

 まず、地質学である。スタンフォードの科学チームが最近、火山噴火による古代の石やガラスに含まれた雨水の化石サンプルを三千近く分析し、シエラネバダ山脈の地質学的歴史を再現した。この地域が約3億年は熱帯ジャングルであった、4.9億年前には山脈の山々が既に1万フィートに達していた、地殻変動が火山噴火を促進した、等の発見があった。地球の歴史を辿り、明かしていくことは、地球上での様々な進化の解明にも繋がる。そしてそれらの歴史を繋げていく事で、科学者らは更に地球の存在のメカニズム解明にあったっているのである。そして人はその分地球の闇の部分を減らしていく事になる。

 次に、医学である。高橋理明氏はヒューストンに移住していた1963年、子守をしていた同年代の女児を介して、息子が水痘を患ってしまった。息子は回復したものの、その経験と知識から水痘ワクチンを開発しようと決意した。当時、水痘は癌と関連しているとされ、帯状疱疹等の過度な心配が無いことを培養された人間の胎芽で証明し、世界初の水痘ワクチン開発に成功した。現在、アルツハイマーやハンティングトン病を含む「不治の病」の解明が進んでいる。つまり、今までは手の施しようの無かった病気を解明し、結果として、それまでは絶対的であった「身体的、或いは精神的な」死をも回避可能にしているのである。一方で、予防注射では水痘のウイルスは体内に潜伏して活性化し、帯状疱疹になる為、水痘は回避できても、ウイルス自体は殺せないため、ウイルスとの医学の戦いも、又激しくなる。

 最後に、脳科学である。人の脳内で何が起こっているのか、人類と猿とで何が違うのか、人の「意識」とは何か、などである。他にも、「脳に異常のある患者を研究することで、あくびの伝染性などの脳科学的現象を解明」している。ラマキャンドラン氏が「(人間においては)進化が類人猿の脳の様々な機能を根本的に変化させ、新たな機能を作った」としており、その一例として挙げられているのが言語である。その誕生により、人間と類人猿の間には「天地の差」ができたとまで言っている。ダマシオ氏も、ホモサピエンスの頃から、人類は遺伝子的にはさほど変化を遂げていないが、「独立した思考を持つ「反逆的」な人々や「読み書きの誕生」」-つまり社会的・文化的要素が地球上の歴史の短時間で人の「意識」に多大な変化をもたらした、と語っている。脳科学で人間の思考・行動の仕組みを知ることは、自身を知る事の一歩となる。思考というものを発達した人類にとって、自らが「何で、何処から来て、何処へ行くのか」と言う事は、一つの大きな課題である。これも前述の二科学と同様に、しかし別の視点から人類・世界の解明に当たっているものである。

 一方、科学に鈍感な人はどうなるのか。単純に言うと、時代に置いていかれる事は明確である。科学とは、未解答の疑問・課題への取り組み方法である。人が自身の存在や存在している地球自体の成り立ちを多面から解明して行き、同時に新たな開発へと先駆していくなか、唯々その結果と産物を利用して生きていくのみとなるのである。例えば、日本の年間の科学論文出数の低下が問題視されている事も、その表れである。

 微生物の世界から宇宙・銀河系外にも及ぶ世界のメカニズムの解明や、時空を超えた疑問の解明。科学は、人類をより多次元で、全能的なものにしていく可能性をものであろう。

電子版投稿者: T.Sasajima

February 16th, 2011 at 11:45 pm (PDT)

エッセー 「知的報道とそうでない報道」

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エッセー
知的報道とそうでない報道
中村 茉貴


 「この頃の日本のニュースの質は落ちてきている。」このフレーズを、小耳に挟んだ。実際の所、どうなのであろうか。

 オーストラリア、そしてブラジルで起きた大洪水。それに関する日本・国際の新聞記事がある。共に大洪水について報道しているが、その内容は似つかないものである。日本の記事「豪州洪水 都市機能マヒ」は、要約すると「洪水による死傷者・緊迫した経済的影響」である。一方米国の記事は『今回の洪水の因果についての分析』である。記録的降水量の原因となったラニーニャ現象について多角的な情報が組み込まれており、これはラニーニャについての情報が皆無な日本の記事とは対照的である。分析力の問題だろう。

 2010年7月28日のWall Street Journal の記事「Lost in Translation」がある。テーマは「言語がどう人の思考・有り方を変えるか」。その一説に、次の事がある:「言語は、時空だけではなく、我々が因果関係をどう認識するかにも影響を与えている。」その例として挙げられているのは英語と日本語(・スペイン語)の文章に置ける責任追及・認識の仕方。例えば、『英語では例えそれが事故であったとしてもトムが花瓶を壊したのなら、“Tom broke the vase(トムが花瓶を割った)”と書くが、日本語・スペイン語の場合、より“the vase broke itself(花瓶が割れた)”という方が多い』という。

 つまり、日本は何かの結果として起こった事柄の「原因」を見落としてしまう傾向がある。
「日本のニュースの質」が降下しつつあるのも、日本自体が現象的状況のみに囚われ易くなっているからと感じる。つまり、現象、今現在起こっている出来事の下に何があるのかを見る知的な分析の要求が無いのである。今の現在の日本の活気の無さも、「大差で優越していた中国にGDPで抜かされ、自国は衰退するばかり」とい悲観的になっているからである。中国の成長の背景にある「コピーの原動力」やそのコピーの根源を見極めれば、活気もより取り戻されよう。

 まずは、『知的報道』に取り組み、「社会的アルツハイマー病」、そしてその症状の一部である好奇心の希薄化を防ぐ必要がある。

電子版投稿者: T.Sasajima

February 8th, 2011 at 11:17 pm (PDT)

小論 「中国と韓国の追い上げ、日本の悲観」

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小論
中国と韓国の追い上げ、日本の悲観
中村 茉貴


 中国と韓国の追い上げを、日本は自国のマイナスにしか取らない。これは、競争・発展への消極的な態度の表れであり、ヘーゲルの「変動の精神」に大きく矛盾している。

 万物は歴史という存在の形にあり、歴史は発展を意味する。これがヘーゲルの哲学である。つまり、万物は常に発展するものである。そして、その一つ一つの歴史的過程は全て新しいものである、どの瞬間も、どれ程類似していようと同じものは何一つなく、又それらはその先駆者の必然の結果である、と。

 日本の経済は、現在衰退していると考えられている。経済大国二位の座をついに中国に譲り、好調な成長を遂げている中国、そして韓国等の企業に市場シェアを押されていっている。

 例えば、「日本で販売されている乗物の約95%、電子機器の約70%を国内の企業が製造している」というのが今までの日本の市場状況であった。しかし現在、その指数が変わりつつある。韓国のサムスン社ギャラクシーのスマートフォン販売によるものである。その人気は米アップル社の携帯をも凌ぐものであった。他にも、中国の自動車会社ヒュンダイの競争力上昇もある。日本の企業が市場シェアに関し、中国、韓国に押されている事が一目瞭然である。

 そして中国等は、更なる発展を求め、日本の技術者達を自国に呼び寄せ、雇用している、或いはしようとしている。これは故錦濤国家主席の掲げる「自主創新、」つまり「自主ブランド」製作への取り組みの一要素である。「世界に誇れる」日本の技術を、自国のこれからの競争力へ変えようとしているのである。これが、国際社会にも重要である、所謂、「頭脳流出」である。

 日本側は「のまれる先端技術」や「日本の頭脳引き抜く」などと称し、少なからず警戒心を表している。技術提供に協力することを承諾しても、「市場と相手方の技術力の進歩の状況をみながら、どこまでなら大丈夫か判断し、技術を教え」たり、という攻防的な姿勢である。偽商品や、東南アジア進出、尖閣諸島沖事件による、日本の中国に対する警戒心は理解できなくはない。しかし、それ以上に目立っているのは、日本の発展・開発的意欲の減少である。

 これらに対し、国際進出し、金融危機にも関わらずその進出をとめない企業がある。ユニクロである。ユニクロはつい一年前、ファッション大国であるフランスに拠点を作った。ファッションの最先端にいたいという若者達の心情を掴み、その売り上げは予想以上であったといい、更に四、五店舗の設立を予定しているという。ユニクロはGapと並べられる程有名な日本のブランドである。それが進出して来るという事は、フランス既存の衣類企業の経営・市場シェアを狭める事を意味していたのは否定できない。それでもフランスはユニクロの、日本の観点で言う「侵略」を、むしろ歓迎している、という事になる。


 日本はどこがおかしいのか。

 前述のサムスン社、ヒュンダイ社などによる、日本の企業から中国、韓国の企業への市場の移り変わりを受け、専門家達は「ソニーやシャープ、パナソニックなどの日本の企業は進出しだしているアジアの国々に比べ、開発し、消費者の要求の変化への対応が遅い」としている。日本とフランスの決定的違い。それは他国の技術・製品を受け入れられない、『自国の転落』そのものを恐れている事である。勿論、「二位じゃいけないのか、」と提案している訳ではない。しかし、ヘーゲルが『眠ることの恐れは進歩の死なのである』という様に、保守化する事で事実上のライバル国の発展を無視するのではなく、それに屈し、「市場の中で眠る」覚悟で凝視し、自国の発展へと繋げる必要があるのである。「日本の頭脳を引き抜く」・「のまれる先端技術」ではなく、「日本の頭脳の活用」・「更新される先端技術」とあるべきなのである。

 情報社会となり、政府でさえその機密文書を守れない程情報漏洩・ハッキングが増加している社会である。その中で、「変動の精神」にのっとるより、保守化し、相手の発展を妨げることに執着している事が、日本のおかしい点である。

電子版投稿者: T.Sasajima

December 17th, 2010 at 1:45 pm (PDT)

小説 「多重人格」

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小説
多重人格
中村 茉貴


 一九三〇年、第一次世界大戦終了十一年後に世界大恐慌が起きた。戦争に破壊され、やっと立ち直り始めた国々の経済は激しくぐらつき、再び落下を始めた。

特にイタリア、日本、ロシア、そしてドイツのいずれも戦後にひどい扱われ方、蔑みをされたものの気分は最悪。そして彼らの復讐心に燃える心は、紙切れに書かれた平和を、少しずつ、だが確実に、灰へと変えてゆくことになる。

 一九三三年、一月、ドイツ、ナチス等のアドルフ・ヒトラー、ポール・ヴォン・ヒンデンバーグ大統領により、首相に任命。その予定時刻に遅れ、かつ静かに始まり、次第に大きく、大きく、驚異的なまでに激しく、力強くなる声と手の動作は世界大戦後、勝者の欧州諸国、そして米国に侮辱された国民に希望を―彼に対する恐怖心を―与えた。

 一九三三年、ヒトラー、全権委任法を通し、ナチ以外の勢力すべてを鎮圧。

 一九三四年六月三〇日、長いナイフの夜事件発生。全権委任法で外の敵を鎮圧した後の内―つまり仲間の中の、自らの権力に驚異的な者の徹底排除。

 そう、ここからが自分の本格的な出番だった。ヒトラー直属のナチ秘密警察所属、ミヒレ・メンシェンはふと思い出した。一九三八年、彼は食品を買いに出ていた。このただでさえ寒いない四月の、更に、曇った日、出歩いている人はそう多くない。ところどころ人を見かければ彼らはベレー帽、スカーフ、襟付きのコートに、まるで身を寒さ以上のものから守られるようにと、身をすっぽり埋めているのである。ベレー帽とスカーフの間から垣間見られる目は暗く、怪しく光り、家へ家へと急ぐ足の様に、絶え間なく動いていることはたやすく予想できた。

 無理も無い。ミヒレはその栗色の髪をかきあげながら周りを見回した。目に飛び込んでくるものは決まっていた。子を抱くヒトラー、ナチの紋章である卍が中心にある白い円の中に描かれた赤い旗を持つヒトラー。その下には「Es lebe Deutchland―ドイツよ永遠に―」の文字が。他にも様々な「アーリヤ人―非ユダヤ系白人」の子供たちが楽しく遊び、学び、働く大人になる過程を描写するもの。街角に張られたありとあらゆるポスターが、そしてそこにヒトラーを含む目という目が、自分を見ている。

 心なしか、一つのポスターのヒトラーと目が合ったとき、ミヒレは電撃を浴びせられ、そのままブラックホールに吸い込まれてゆくような感覚を味わった。彼はその自分の無意識な反応に苦笑し、まぁ、あのポスターは、俺が「仲間」と貼ったものだがな、と思った。

 ―人間とはつくづく不思議な生き物だ―

不意に、ミヒレの頭の片隅で声がした。「そうだな」と彼は慣れたように気のない返事をし、歩き始めつつも周りを見回し、続けた。

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電子版投稿者: T.Sasajima

September 6th, 2010 at 2:01 am (PDT)