篠島匠人さんの作品

エッセイ 「日本独特のジャンルの私小説について」

エッセイ 日本独特のジャンルの私小説について 篠島 匠人  西村賢太が芥川賞を受賞したことで、破滅型私小説が現代で広く認知されるようになった。平成の破滅型私小説作家と言われる彼は《苦役列車》の主人公北町貫多の多くに自分を当てはめていたそうだ。小説を書いていて「ダメなやつだな、ダメなやつだなと思いながら書いてて、あー、でもこれ俺のことなんだよなあ」しかしそれこそが西村さんの構想したこの小説の大きな狙いである。「この小説を読んで自分よりもダメな人間がいると思って救われた」人がいれば嬉しいという。とことん主人公≒自分自身を絶望に追い込んでいて、それでも作者は作者で藤澤清造という私小説作家にまた救われていることから、他の文学では明示されない破滅的私小説にはどこか人々を紡ぎとめる苦役人生のリンクがあるのかもしれない。 
 私みたいな人間が絶望したなどと言っても鼻で笑われるだけだ。岡本太郎のようにあらゆる感情を経験しなければ人間として成長することはできない。「絶望の中に生きることこそが、おもしろい」この言葉に救われた人は私が思うよりもずっと多いのだろう。絶望の理解は、まず《苦役列車》を読むことからはじめたい。

エッセー 「新日本人とは」

エッセー 新日本人とは 篠島 匠人  新日本人は皆生まれながらの日本人ではない。彼らは皆他の国で生まれ、日本を知り、日本の一員になろうと決意した。生まれた国では「裏切り者」「売国奴」などと呼ばれた。それでも日本に対する情熱は忘れなかった。日本を好きになり、日本の未来を憂い、将来の日本はどうなるべきかを真剣に考え、他の日本人と議論する。  その国の文化を理解し、その国の言葉を理解し、自分がその国の人間なんだと思えたとき、彼らは新日本人となるのである。彼らは日本国籍を持つ日本に生まれた日本人の多くよりも、日本のことを考えているかも知れない。言語についてゲーテはこう説いた。「母語を理解するためには外国語を複数知らなければならない」これは国についても当てはまると思う。「日本という国を理解するためには外国から見た日本観を理解しなければならない」日本人の多くは日本を知るためにわざわざ外国へ出ようとは思わない。だから日本の内部で見た価値観のみが形成されていく。  その点、外国人はまず他国の視点から日本のことを見ている。日本がどんなに良い国か、どんなところで問題を抱えているかは、日本に関する知識や生き方だけでは理解出来ない。いろんな観点を知っている外国人が日本について論じることが出来るのはこのためである。彼らは新日本人、しかし他の多くよりも真剣に日本国家について考へている日本人である。

小論 「政治家と政治屋の違い」

小論 政治家と政治屋の違い 篠島 匠人  日本に政治家として活動している議員はあまりいない。議員の大半は政治家ではなく政治屋として国会に参加している。政治に携わる人間は皆影響力を持っている。この影響力を日本国のために行使する人が政治家であり、利己的になり自らの利権を保持・獲得しようとする人が政治屋である。政治屋だけで構成された国会では、周りに居る人間の生活を考える者はいない。そこにあるのは金の流入のみである。  現在の菅内閣に対する国民からの評価はとても低い。国会からも、同じ民主党からも、菅内閣に対する不信感は日々強まっており、自民党や公明党の議員は菅内閣に対して不信任案を提出した。不信任案は内紛を抱えた民主党でも多くの支持を得られると踏んで早期提出を決定したが、2日の採択では不信任案は否決された。この事態をふんで自民党では前例ない2度目の不信任案提出を検討している。菅内閣の国会解散や総辞職の後のことを考えずに、現状が駄目だという理由で不信任案を出し続ける。  政党の枠組みを超えた協力をする議員を超党派と呼ぶ。しかし不信任案における超党派の人間は、皆現政権に不満を持ち、政治的に優位な立場を獲得したいと願う人間ばかりだ。こういった議員は政治屋である。それよりもやらなければならないことがないか。311大震災の被災者に対する政策は未だに回ってこない。自分に回ってくる金については何も言及せず、今後の東日本の発展に必要な災害復興対策については、倒閣に忙しくて議論そのものさえも進行しない。本当の政治家は、本当の危機が訪れたときに見えてくるものである。大震災が起きて東日本が壊滅的な被害を負って、それをもとの状態以上に立て直すためなら一致団結もよろこんで承諾する超党派議員こそが、日本の将来を考へている私欲のない政治家である。  こういった現在の日本の政治を見て海外のメディアは嘆いている。Financial Timesは今の日本は政治的内部分裂が日本復興そのものを根本的に妨げていると分析する。自民党が提出した今回の不信任案を評価しない人間は多い。震災被害者は皆、このような利己的な政治活動に対し怒っている。日本は天災から立ち上がる力は持っているにもかかわらず、根本的な復興策が今でも遅延している。これは政治屋によって引き起こされた政治的人災なのだ。 
 しかしこのような金にくらむ政治屋を日本国民の代表として選んだのは、他でもない日本国民である。つまりこの現状を引き起こしているのも日本国民の所為によることを忘れてはならない。他に候補者として優れた適当な政治家はいるにも関わらず、国民一人ひとりの政治意識が低いからである。多くの国民は政治について、あらゆる問題について良く知らないから何も言える立場じゃないとして、政治的な干渉を否む。これこそが政治屋にとっての国民の理想像なのである。知的な人間は一見何の問題もない利己的な政策をつっこむようになり、政治屋は極力それを避けたい。だから政治屋は国民が無知のままで居ることを望む。  自らが無知であることは、意見を持たない理由にならない。何が問題かを知る、状況を理解するのは市民の義務である。だから私たちは政治家を選ぶ為に、私達国民が一人ひとり無知でいることを怖れ、政治教養を高めなければならない。日本を考える政治家のみが生き残り、政治屋の足場が取り払われ、自然淘汰される社会を作るには、私達国民が一人ひとり知的な生活を営まなければならないのである。

エッセー 「地震と津波が人々の人生を変えている」

エッセー 地震と津波が人々の人生を変えている 篠島 匠人  地震と津波は強制的に人々の生活を変えた。そして、その後の生活も自ら望んで変えている日本人が多勢いる。受動的な行動が能動的行動を呼ぶ構図が今回の地震で成立している。そしてその結果は決して火事場泥棒や資源の争奪など、社会の秩序を乱すものだけには至っていないのである。  世界最大規模の地震と津波は、震源付近の海岸沿いにすむ人々の生活をことごとく破壊した。これに加えて、福島第一原発では核燃料が溶け出し炉心融解に至り、放射能をまき散らしている。これは福島県での復興を大きく妨げている。原発難民は今も放射能で汚染された地域から何十キロも離れた避難所で生活しているが、何も出来ることがない。「食う、寝る、テレビを見る」にとどまる原発そばの避難所での生活。避難者の多くは高齢者で、彼らには就ける職も無く、今まで持っていていた財産も流され、頼るところもない。60代という年齢は、何かを始めるにはもう遅すぎると言う。天災は大抵人々の生活を変える。台風予報のように地震予知ができれば、それに則った適切な行動が予め取れるかも知れない。しかし今のところ、地震や津波に対しては、私達は受動的にならざるを得ない。  しかし一部の日本人、特に若者の間において、今回の震災が今までの彼ら人生を能動的に変える機会にもなっている。その傾向の一つに男女間の結婚がある。震災で自分が独り身であることを実感し、互いに頼れる人間や家族を欲する人々が増加しているという。「今回の震災で人を愛するというのはどういうことかを考えさせられた。家族の絆の大切さを確認した」4月に入って結婚指輪の購入数は前年同期比で4割増えたという。震災が結婚を決意する機会になったのは事実だが、彼らは天災から能動的に今の生活を良い方向へ改めようと自発的に行動もとっている。  災害は私達の生活を変えた。しかしそれは悪い方向へと動くものだけではない。彼らが協力しあって良い方向へと進んでいく努力が、結果的に生活に変化を見せている。震災をよい機会と捉える日本人がいれば、地域社会は今よりも良くなっていくと思う。

エッセー 「Mother’s milk cowとは」

エッセー Mother’s milk cowとは 篠島 匠人  遺伝子組み換えの穀物が農業大国となる手助けとなっているアルゼンチンで、同国に住む科学者が 母乳牛 なるものを創りだしたらしい。これはなんの隠喩でもなかった。Mother’s milk cow、そのままの意味で母乳にちかい牛乳を作り出す牛を「開発」したという。蛋白質の二つに人間の遺伝子を組み替えた。人間の母乳にはこの蛋白質が含まれているが、牛乳には入っていない。  遺伝子組み換えの食品を何があっても食べないという方針の人間は世界に大勢いる。 遺伝子組み換え食品を食することで私達人間に与える影響はまだ完全にはわかっていない。人間の手によって改造された食品よりも、自然に存在する食品をそのまま食べる方が気分が良い。しかし母乳は話が別だ。母乳は牛乳には含まれない成分がある。つまり牛乳でそれは補えなかった。しかし遺伝子組み換え技術を使うことで新生児にとって必要な成分を牛から確保できるようになった。世界には母乳が出ずに困っている人が大勢いて、そのために粉ミルクなど人工の代替措置もある開発されてきた。我々人間にはものごとを選択する権利がある。そういう意味で選択肢が増えることは悪いことではない。