生徒作品 「アフリカのコバルト鉱山で働くコンゴの子供達と私」清水さくら 10歳

アフリカのコバルト鉱山で働くコンゴの子供達と私 携帯やパソコンを今使っている人は数え切れないほどいる。その携帯やパソコンを動かすのに欠かせないのはコバルトだ。世界のコバルト生産量の50%はコンゴから取られている。コバルトをとって掘るには、地面の中深くまで行きコンゴでは何もマスクや安全のためのものなどをつけなくて奥深くで危ない場所で掘っている。そして落盤や窒息で死んでしまったり、コバルトを吸い込んで肺の病気にまでもなる人が大勢いる。しかも、その中には 13歳くらいの子供たちも学校に行かずに一緒に危ない中で働いている。コバルト鉱山で働く人たちは他に仕事がないからコバルトを掘るしかない。その中、私は子供たちが掘り出したコバルトの入っているパソコンでこの表現を書いている。コンゴの子供たちは学校にも行けない間私は勉強をして暮らしている。だからパソコンなどが使えるのは危険な環境でコバルトを掘っている子供たちのおかげだから、感謝しないといけない。 アフリカのコバルト鉱山で働く子供とシリコンバレーで勉強する私はつながっているということを忘れてはいけない。 だから、私はもっと勉強をしてこの子供たちが学校に行けるようになるにはどうしたらいいのか考える人になる。コバルトを使わない電池を私は作れるようになるかのがいいのか。人が危険な鉱山で働いたり、死んだりしなくてすむようなロボットを作れる人になればいいのか。そうではないだろう。そうすると彼らの仕事がなくなるのだ。アフリカを豊かにすること。アフリカの子供達に教育を受けさせるお金のあるアフリカの国を作ること。それを考えていたら頭が痛くなるけれど、できないことではない。

生徒作品 「人気のな目にみる平成人の理想的人間とはどんな人なのか」清水さくら 10歳

人気のな目にみる平成人の理想的人間とはどんな人なのか 男の子や女の子の名前は自分で決めることはできない。その代わりにその子の親が決めることが多い。一つ一つの名前には意味がある。私はその名前の中に入っている漢字の意味などその名前で平成人の理想的人間はどんな人かわかると思う。 平成の人たちのことを知るにはその時代の名前ランキングを知らないといけないかもしれない。男の子の名前を5位から1位まで読むと、5位が大輝、4位が蓮、3位が健太、2位が翔、1位が翔太だ。 この中で私が気づいたことは、この名前を漢字で書くとほとんどに「翔」の漢字が入っていることだ。例えば1位の翔太や2位の翔などだ。しかも、2018年生まれの人気の名前の3位には大翔という名前と5位の陽翔にも翔という言葉が入っている。だからその子供の親たちは子供に世界、そして宇宙にはばたいてほしいという希望が入っているのかもしれない。しかし日本人は世界に羽ばたく前に日本のことをもっと知らないといけないし、宙に行く前にもっと地球のことを知らないといけないと思う。だから羽より地郎の方がかっこいい。 今度は女の子の名前ランキングを見る。5位から1位にまた読むと、5位が愛、4位がさくら、3位が陽菜、2位が葵で、1位が美咲だ。この中でも私が気づいたことがある。この中には花や植物など少し日本らしい名前が多いということだ。 2018年生まれのランキングには1位が結月という名前がある。この名前には月というとても日本らしい言葉がある。 これらから分かることは、女の子の名前は具体的な女性というより、美しさの花のイメージで名前を決めているらしいということだ。男の子の名前は具体的に理想とする人間がわかりやすいけど、女の子の名前はイメージだけで具体性が少ないのは、とても日本病的だと思う。平成になっても女性の首相が日本で生まれなかったのは、こういうところにもあらわれているのかもしれない。

生徒作品 「私の身について財産になるものとはなんだろう」清水さくら 10歳

私の身について財産になるものとはなんだろう あなたの財産は何?と聞かれると、多くの人がお金や土地など見えるものを言うかもしれないでれども、本当の財産は人間の目では見えなくて自分が死んでしまった時に一緒に持っていけるものだと養老孟司のバカの壁の本には書いてある。 人間の目では見えなくて自分が死んでしまった時にお墓に持っていけるものとは何かを考えた。もし死んだ時に持っていけるものだとしたらもう自分の中に入っているものだと言うことだ。もしそれで見えないものだとしたら、知識や知恵など職人の技だと私は思う。 私は詩を書くのが好き。でそれは私が得意なことだ。私は金子みすゞの詩も好きだ。私の詩を書くスキルは私の財産になるが、金子水図の本などは私の財産とは言えない。なぜなら私のスキルは見えなくてお墓に一緒に来ることができるが金子みすゞの本は見えて一緒にお墓には持て行くことはできない。金子みすゞの詩が好きで、その死をよく読んでそれが自分の一部になっているから、本はもっていけなくても金子みすずは自分と一緒。しかも財産ではないものはなくなることもある。だが、自分の財産の詩を書く力は泥棒が入ってきて取ることはできない。

生徒作品 「バイリンガル・エキサイトメント」清水さくら 10歳

バイリンガル・エキスサイトメント 日本語は、英語にはないような感情の表現の力がある。それは英語に訳せない感情だから、英語にはない日本語だけの力なのだ。 リービ英雄の書いた『バイリンガル・エキサイトメント』を読むとよくわかる。例えば真っ白や真っ青、真夏や真冬などだ。こういう言葉を英語に訳そうとするととても難しい。真で強い感じ方が「真っ白」にはあって、それは汚れていない純粋な白や大事にされているというイメージだ。それを英語にするとvery whiteになってしまう。だがこれでは大事に扱われてるというイメージが出てこない。だからvery whiteではなくwhite pure whiteになる。White pure whiteだと神道の中の純白、日本人にはとても大事に価値だというイメージが出る。なぜならpureが純粋という意味でもあるからだ。 リービ英雄は次のことも見つけた。万葉集から来た歌の一つには「田児ノ浦ゆ うち出でて見れば 真っ白にぞ 不二の高嶺に 雪は降りける」という歌がある。さっき説明したように「真っ白」を英語であえて訳そうとすると「white pure white」になる。だがこの万葉集の歌にはもう一つ英語に訳せない言葉がある。それは「ぞ」だ。「ぞ」書いている人の驚きを表している意味だ。この驚きは写真のようなイメージではなく、映像のような動きのある力を日本語は持っている。 日本語にはもう一つすごいことがある。現代はいろいろな出来事が起きている。例えば日本では、3.11の東日本大震災が起こり、アメリカで起きた9.11の同時多発テロもそうだ。昔芭蕉は「島々や千々に砕けて夏の海」という俳句を松島で作っている。とても不思議で暴力的だが自然の力で化け物的な力を感じることができる。「千々にくだけて」という表現などは、現代に起きている出来事に対しても表すことができるような力を日本語は持っている。 最後に日本の万葉集の恋の歌は英語にすると「love」として翻訳できない歌が多い。なぜなら相手に会いたくても会えない気持ちや会いたいのに会ってくれないということを表しているからだ。だから万葉集の恋の歌は「love」 ではなくて「yearning」や「longing」だ。相手がそばにいなくて、そばにいてほしい、相手がいないからこそ恋をするし、それを古代の多くの日本人たちは表現したかったのだろうと、リービ英雄は考えるのだ。 私もバイリンガルだからリービ英雄のように日本人が意識しないで使っている日本語の力のユニークなところを見つけられるようにならないといけないのだと思う。 リービ英雄のバイリンガル・エキスサイトメントのような、発見のエキサイトメントを私も待とうと決心した。