生徒作品 「バイリンガル・エキサイトメント」清水さくら 10歳

バイリンガル・エキスサイトメント

日本語は、英語にはないような感情の表現の力がある。それは英語に訳せない感情だから、英語にはない日本語だけの力なのだ。

リービ英雄の書いた『バイリンガル・エキサイトメント』を読むとよくわかる。例えば真っ白や真っ青、真夏や真冬などだ。こういう言葉を英語に訳そうとするととても難しい。真で強い感じ方が「真っ白」にはあって、それは汚れていない純粋な白や大事にされているというイメージだ。それを英語にするとvery whiteになってしまう。だがこれでは大事に扱われてるというイメージが出てこない。だからvery whiteではなくwhite pure whiteになる。White pure whiteだと神道の中の純白、日本人にはとても大事に価値だというイメージが出る。なぜならpureが純粋という意味でもあるからだ。

リービ英雄は次のことも見つけた。万葉集から来た歌の一つには「田児ノ浦ゆ うち出でて見れば 真っ白にぞ 不二の高嶺に 雪は降りける」という歌がある。さっき説明したように「真っ白」を英語であえて訳そうとすると「white pure white」になる。だがこの万葉集の歌にはもう一つ英語に訳せない言葉がある。それは「ぞ」だ。「ぞ」書いている人の驚きを表している意味だ。この驚きは写真のようなイメージではなく、映像のような動きのある力を日本語は持っている。

日本語にはもう一つすごいことがある。現代はいろいろな出来事が起きている。例えば日本では、3.11の東日本大震災が起こり、アメリカで起きた9.11の同時多発テロもそうだ。昔芭蕉は「島々や千々に砕けて夏の海」という俳句を松島で作っている。とても不思議で暴力的だが自然の力で化け物的な力を感じることができる。「千々にくだけて」という表現などは、現代に起きている出来事に対しても表すことができるような力を日本語は持っている。

最後に日本の万葉集の恋の歌は英語にすると「love」として翻訳できない歌が多い。なぜなら相手に会いたくても会えない気持ちや会いたいのに会ってくれないということを表しているからだ。だから万葉集の恋の歌は「love」 ではなくて「yearning」や「longing」だ。相手がそばにいなくて、そばにいてほしい、相手がいないからこそ恋をするし、それを古代の多くの日本人たちは表現したかったのだろうと、リービ英雄は考えるのだ。

私もバイリンガルだからリービ英雄のように日本人が意識しないで使っている日本語の力のユニークなところを見つけられるようにならないといけないのだと思う。

リービ英雄のバイリンガル・エキスサイトメントのような、発見のエキサイトメントを私も待とうと決心した。