生徒作品 「超便利を目指す現代」清水亮翔 14歳

超便利を目指す現代

超便利を目指す動物人間。平らな園庭より不便な園庭の方が、園児を活き活きとさせ、電子辞書よりかみの辞書を使う方が単語を覚えたり、プロジェクターが教室に配置されたことによって、生徒たちの興味がなくなった。便利を目指す世界の出すゴミの目に見えないCO2が多すぎになっている。

今では人工知能という超便利な機械が開発されてきて、10年後には人間の半分の仕事を奪うと言われている。そのため今私たちはAIを超える脳を持つため勉強しているが、超便利を目指す現代は何がいけないのか。

私たちは3万年前旧石器時代、動物を狩って食べていた。目で獲物を探し、手は自分たちが作った武器で動物を殺したり、足は動物を追いかけるために使っていた。耳は他の動物に食べられないよう使って、鼻と口は食べるために使っていた。縄文時代の時は、手で縄文土器を作っていた。ギリシャ時代の時は、原子の存在を考えていた。

しかし今の21世紀では、目でスマホの画面を見て、手はスマホをいじるために使い、足は車により使わなくなり、耳は音楽を聴くために使い、鼻や口は食べるのに使う。自分の頭で何も考えていない。

しかもGoogleや電子辞書が誕生し、知りたいものはすぐ知れるようになった。そのため、すぐ物事を忘れるようになって、海馬が小さくなっている。苦労して真実を見つけるのに、何も今の人は苦労していない。紙の辞書で調べることにより、時間はもっとかかるかもしれないが、そのページにまた知らない単語があるということで、また調べる。そのようにして知識が増える。知識を得たいという知ることの喜びがなくなっている

便利な社会で自動運転車が実現され、「運転しなくていいよ」なはずが、「運転してはいけない」になっている。全てが他人や機械任せで楽だけであると、自分がやることの喜びが失われる。

平らな園庭より不便な園庭の方が、園児を活き活きとさせるように、不便にあうと私たちは自ら工夫することができる。人の体はそのようにできる。しかし私たちは、どのくらい何か物事を便利にできるかだけしか考えていなく、目、足、手、鼻と口をいかに使わないようにできるとし考えていない。そのためただ電気が止まると何もできなくなり、携帯電話がないと生きていけない状況になっている。

体全体の作りが、私たちは超便利では生きてはいけないと示しているのに、超便利を目指す現代人は未だ昔のエジプト人がどのようにしてピラミッドを作ったかわからない21世紀の私たち。このまま超便利の現代を進めていけば、人類は崩壊するだろう。