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【生徒作品】清水さくら 8歳

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【生徒作品】清水さくら 8歳
「芭蕉とソローは、生きている時笑われていても、死んだあとは、人類の宝になっているなぜか」

おもしろ大江戸生活百科を読むと、芭蕉の「枯野見」や「雪見」などの風流を、当時の江戸の人は寒い中枯れ野や雪を見て何が楽しいのかと笑い、風流がわからなかったと書いてある。
ソローもWaldenの池のそばに建てた小屋に住んで、森をあるいたり、植物や動物を観察したりして、詩や古典を読みながら過ごした。彼の生き方も当時のアメリカの人々にはまったくわからない生き方だった。

その時代に笑われた人たちが、なぜ何百年も人類の宝になって、古典として愛されて、その時代に流行りの生活をした人の生き方はみな消えてしまって、その後の人類の心の宝になるものを残さないのか考えた。

芭蕉やソローが人類の心の宝になったのは、二人が「型」にはまらない生き方をしたからだと思う。芭蕉は身分制度の固まった時代に武士という身分を捨てて「型」にはまらず、旅をしながらたくさんの俳句を残した。ソローも当時のアメリカ人の流行りの生活はせずに、「バターもミルクも新鮮な肉も口にしないから、それを買うために働く必要はない」と言って、森の生活をしながら、どんぐりやハックルベリーを食べたり、樹液を飲んだりしながら詩や文章を残した。

二人ともその時代の流行りの生活を捨てて、自然の中で一人で過ごしたり、旅をすることで自分や自然とじっくり向き合うことができた。

芭蕉とソローは、生きている時笑われていても、死んだあとは、人類の宝になっているのは、自分で楽しいことを見つけたからだ。

それは人に言われたのではなく、自分で見つけたことだからだ。だから追及みたいだと思う。追求では、自分の知りたいことを調べるからだ。

電子版投稿者: グロスマンアカデミー

February 5th, 2018 at 9:36 pm (PDT)