小論 「政治家と政治屋の違い」


小論
政治家と政治屋の違い
篠島 匠人


 日本に政治家として活動している議員はあまりいない。議員の大半は政治家ではなく政治屋として国会に参加している。政治に携わる人間は皆影響力を持っている。この影響力を日本国のために行使する人が政治家であり、利己的になり自らの利権を保持・獲得しようとする人が政治屋である。政治屋だけで構成された国会では、周りに居る人間の生活を考える者はいない。そこにあるのは金の流入のみである。

 現在の菅内閣に対する国民からの評価はとても低い。国会からも、同じ民主党からも、菅内閣に対する不信感は日々強まっており、自民党や公明党の議員は菅内閣に対して不信任案を提出した。不信任案は内紛を抱えた民主党でも多くの支持を得られると踏んで早期提出を決定したが、2日の採択では不信任案は否決された。この事態をふんで自民党では前例ない2度目の不信任案提出を検討している。菅内閣の国会解散や総辞職の後のことを考えずに、現状が駄目だという理由で不信任案を出し続ける。

 政党の枠組みを超えた協力をする議員を超党派と呼ぶ。しかし不信任案における超党派の人間は、皆現政権に不満を持ち、政治的に優位な立場を獲得したいと願う人間ばかりだ。こういった議員は政治屋である。それよりもやらなければならないことがないか。311大震災の被災者に対する政策は未だに回ってこない。自分に回ってくる金については何も言及せず、今後の東日本の発展に必要な災害復興対策については、倒閣に忙しくて議論そのものさえも進行しない。本当の政治家は、本当の危機が訪れたときに見えてくるものである。大震災が起きて東日本が壊滅的な被害を負って、それをもとの状態以上に立て直すためなら一致団結もよろこんで承諾する超党派議員こそが、日本の将来を考へている私欲のない政治家である。

 こういった現在の日本の政治を見て海外のメディアは嘆いている。Financial Timesは今の日本は政治的内部分裂が日本復興そのものを根本的に妨げていると分析する。自民党が提出した今回の不信任案を評価しない人間は多い。震災被害者は皆、このような利己的な政治活動に対し怒っている。日本は天災から立ち上がる力は持っているにもかかわらず、根本的な復興策が今でも遅延している。これは政治屋によって引き起こされた政治的人災なのだ。


 しかしこのような金にくらむ政治屋を日本国民の代表として選んだのは、他でもない日本国民である。つまりこの現状を引き起こしているのも日本国民の所為によることを忘れてはならない。他に候補者として優れた適当な政治家はいるにも関わらず、国民一人ひとりの政治意識が低いからである。多くの国民は政治について、あらゆる問題について良く知らないから何も言える立場じゃないとして、政治的な干渉を否む。これこそが政治屋にとっての国民の理想像なのである。知的な人間は一見何の問題もない利己的な政策をつっこむようになり、政治屋は極力それを避けたい。だから政治屋は国民が無知のままで居ることを望む。

 自らが無知であることは、意見を持たない理由にならない。何が問題かを知る、状況を理解するのは市民の義務である。だから私たちは政治家を選ぶ為に、私達国民が一人ひとり無知でいることを怖れ、政治教養を高めなければならない。日本を考える政治家のみが生き残り、政治屋の足場が取り払われ、自然淘汰される社会を作るには、私達国民が一人ひとり知的な生活を営まなければならないのである。