小論 「オサマ・ビン・ラデンの殺害を正義はなされたというアメリカ」


小論
オサマ・ビン・ラデンの殺害を正義はなされたというアメリカ
谷 法之


 2001年、9月11日は世界でも忘れられない日となった。飛行機ハイジャックが有り、四つのうち二つはアメリカの世界貿易センターに突っ込み、一つはペンタゴンを攻撃、最後の飛行機はペンシルヴェニアで墜落した。俗に言う9・11テロである。このテロによる犠牲者は飛行機の乗客たちと世界貿易センターで働いてた人たち。ビルの中が煙で充満して降りれないからと二十階からでも飛び降りる人たちが多々いた。死を覚悟した人たちは沢山いた。その黒幕として自らこの計画の責任者であると言ったのがオサマ。ビンラデンである。テロリスト組織のアルカイダのリーダーであるビンラデンはアメリカFBIから指名手配が出ていた人であった。そのビンラデンが殺されたとオバマ大統領が発表した。そして、ビンラデン容疑者の死亡を発表した時、大統領はスピーチの中で「正義はなされた」と言った。ビンラデン容疑者の死によってアメリカ人は歓喜に包まれているような行動をとってきた。理由は「正義はなされたから」である。この「正義はなされた」という言葉は間違っていて、祝福することではない。

 「正義はなされた」というよりも「復習が成功した」が正しい。感情だけでこの事実を受け入れたアメリカ人たちは正しい判断が出来ていない。なにより、またさらに憎しみを生み出すことになっただけである。十年前、9・11テロによって悲しみを感じたアメリカ人たちと衝撃的なものを見た世界。そのテロ計画のリーダーを憎むのは当たり前のことになっていた。この憎みは「正義」という言葉を表に心の中では「復習」として残っていた。そして十年後、リーダーが殺されたことによって「正義はなされた」という発言が出る中「復習は成功した」と考えた方が正しい。そしてこの復習はまた違うところで憎しみと悲しみを出した。一人一人の価値観は違い、自分にとって宝でも他人にはゴミということがある。ビンラデンの死によって嬉しいアメリカ人たちと悲しむアルカイダの人たち。憎しみはまだ消えない。

 大量の殺害を行ったビンラデンは殺されるだけで済むような罪を犯していない。アメリカは「暗殺計画」よりも「拘束計画」を立て、国際法で裁くべきであった。死刑判決が出たとしても、それは法の適正手続きを行った上の死刑判決になっていた。死刑判決でなければ終身刑で終わったかもしれない。ただ殺して復習をすることで正義という言葉を使うべきではなかった。

 罪を償う権利を与えなかったアメリカ、ビンラデン容疑者を殺したことに対して「正義はなされた」は間違っている。正義はなされていない。復習は成功しただけである。そして、この復習によってすべてが終わったわけでもない。もしアルカイダが完全に壊滅して残りのメンバーをその場で射殺すれば、アメリカ人はまた「正義はなされた」と口ずさむのか。