小論 「日本人である素晴らしさと、日本人である危険」


小論
日本人である素晴らしさと、日本人である危険
上畠 啓暉


 日本人である素晴らしさがあると同時に、日本人である危険もある。

 今の世界には、“新日本人”というニュータイプの日本人がいる。この“新日本人”というのは、日本人の地を持たない日本人である。自分たちの国の国籍を捨て、日本人として帰化するのである。“売国奴”や“裏切り者”という汚名をつけられても、それを甘受し、新たな日本国民となったのである。彼らは日本の魅力を理解しているから、日本の国民になりたいと思った。そして実際になっている。日本の血が流れていても、日本の魅力が分かっていなかったり、日本という国を嫌っている人がいっぱいいる。そういう意味じゃ、新日本人のほうが日本のことをもって知っており、日本に対しての愛国心が強いのかもしれない。ペマ・ギャルポもその“新日本人”の一人である。インド難民であったペマ・ギャルポを受け入れてくれた国だから。ペマ・ギャルポにはアメリカに行くという選択肢もあったが、日本を選んだ。多くの日本人が知らない日本にいる一万人のペマ・ギャルポのような難民の事だって知っている。体質が日本人的になってくるぐらい日本がすきなのである。

 これだけペマ・ギャルポがすきになる日本であるが、素晴らしさと危険がある。生長の家総裁の谷口清超は「美しい国と人のために」の中で、“日本では大調和の広く深い心を持った国である。それ故、国内の人々が仲良く暮らし、お互いに親切である。”といった。実際に東北地方太平洋沖地震が発生したときも、東北の人たちはお互いを助け合い、ほかの地域では被災地の野菜などを販売して復興支援をしている。日本は自然とも調和して生きてきた。日本は昔から自然とともに生きてきており、日本の伝統的な建築方法や生活様式にも自然と調和して暮らす知恵が詰まっている。日本人は人だけではなく、自然を大切にする心を持ち、調和してきたのである。

 だが日本人はアイデンティティを無くす傾向がある。日本は島国であるから、ほかの国と隣接していない。日本に住む日本人はほかの国の人たちと触れ合う機会が少ない。だから自分を客観視する機会も少なく、「日本人ってなんだろう」と考えることもなく、自分が誰だか分からないまま成長してしまう。だから海外に行ったら、海外から人が着たら、その文化に向いてよろめいてしまう。そしてその結果、自国をだめにしてしまい、その国を偉いとしてしまう。