小論 「イスラムの服装を差別の対象にする国の無知」


小論
イスラムの服装を差別の対象にする国の無知
篠島 匠人


 イスラム系の服装でいることをよしとせず、採用面接でも拒否反応を示したり法律で服装を禁ずるなどの、キリスト教が絶対で他宗教を許すことをしない欧米社会は、その理解を正しく改めなければならない。

 イスラム教は砂漠気候が強い乾燥帯に属するアラビア半島で始まった。この半島一帯を含む中東や北アフリカは、世界の中でも気温の高い地域である。2010年9月の中東の温度はイラク・バグダッドの摂氏45度が最も高く、サウジアラビア・リヤドで43度、UAE・アブダビで41度、パキスタン・カラチとシリア・ダマスカスで35度と、多くが日本の真夏日に匹敵する温度を記録している。人間が炎天・高温度下で活動を行えば、脱水症状や痙攣、虚脱といった熱射病を引き起こし、最悪死に至る。それを防ぐために、中近東に住む人間はその乾燥気候に合わせて生活できるよう、体全体を覆って隠すような服装がイスラム教成立以前から存在していた。モハンメドは開教にあわせて当地の服装を採用し、教徒として着用する正式な服装を再定義した。

 イスラム教徒の服装は、当地での気候的背景という正当な理由をもって定められており、それをキリスト教圏の先入観で、自分たちと姿形が違うだけで一宗教の服装着用に否定的な態度を示す人間が多い。

 ヨーロッパやアメリカ地域ではこういったイスラム教徒に対する差別が次々と問題になっている。多くの人間は服装の自由が認められていながら、イスラム教徒にはこれがない。学校でのベール着用禁止、服装を基準とした雇用拒否など、多くの国で認められている信仰の自由と、各国が独自に定めた法律との間で矛盾が生じてしまった。キリスト教もイスラム教も宗教であり人間は平等に尊重されるはずでありながら、ヨーロッパなどキリスト教原理主義で通した社会は他の宗教の介入を良しとしない。

 他に制限を課すことなど誰にもできないはずなのに、それを通す社会は宗教を正しく理解していない無知である。兄弟であるイスラム教を差別するということは、自分をも否定するということに気づく必要がある。