小論 「人間の正反対の行動」

小論
人間の正反対の行動
中村 茉菜


人間が悪意に満ちた行動と考えられないほどの残忍性を見せる行動という正反対の行動ができるのは行動を起こす相手も人間、もしくは命のあるものだと感じているか否かの環境におかれているからだ。太平洋戦争と南京事件時の日本兵にそれが表れている。

太平洋戦争スラバヤ沖海戦中。イギリス海軍の駆逐艦は日本軍の戦闘艦からの攻撃により、エンジンが停止し、沈没。乗組員は浮遊物にしがみつき、重油漏れした海の上で救助を待った。しかしその役目を果たしたのは見方ではなく敵であるはずの日本軍の工藤俊作艦長率いる駆逐艦であった。敵からの襲撃をいつ受けてもおかしくなく、敵のなすすべもなく漂流していた兵を絶好の機会であったのにもかかわらず、逆に危険を承知の上、できる限りの要員を救助活動に向けたのだ。救助に向かった「雷」そのものも敵軍からの魚雷攻撃を受けていた。だが逆恨みをしなかった。互いに戦う以前に自然を生き延びてきた者同士。血と重油、汚物まみれのイギリス兵は敵味方関係なく、工藤艦長の目にはただの人間として写ったのだ。そして弱っているものを助ける事は当然のことであるという考えが彼の部下にも伝わり、ありとあらゆる搭載物を駆使し、壮絶な救助劇が繰り広げられた。

しかし日中戦争時の南京大虐殺ではそのような面影はどこにもない。逆に強姦、放火、略奪などの非行を行った。それは太平洋戦争とは違い、日中間の直接対決であり、優勢であればどんなに残虐な行為でも勝つために容認したのだ。一騎打ちのような形であり、劣ったり引いたりすることによって勝敗が決まってしまう戦争だったからだ。人間的な感情を持てば負けてしまうため、敗北することへの羞恥心が後には美しき精神を持った日本軍の兵士たちを戦闘ロボットに変え、恐ろしい行動を起こさせたのだ。人々は勝利を国に持ち帰りたいがために凶器と化したのだ。

どのような戦争でも人は残忍な行動をとる。だがその中で人間である面が見られるかは兵の置かれている現状による。勝ちの傾向であるなら手段を選ばずに敵を打ちのめし、人間面を失い、苦しい状況で同胞感が芽生えれば敵味方もなくなる。こうして真逆の行動が起こされるのだ。